2.正義はだれのため?

 

正義は絶対で、正義は守らねばならないという意識はよくあると思います。

正義を守るものは善、正義を守らぬものは悪。

戦闘もののヒーロー番組も正義と悪の戦いで最後に正義が勝つストーリー。

ただ正義の行き過ぎは過度の主張になり、だれかを傷つけるかもしれません。

 

わたしはよくない、と思ったことは言うようにしたいタイプでした。

マナーを守っていない、みんなの迷惑になることは身近な人であれば注意したい方でした。

思えばマナーというのは絶対的なものではないです。

極端な話、国が違えばマナーは異なる。異なる風習には異なるマナーがあります。

本来マナーというのは形式を守ることが大切なわけではなかったはずです。

みなが快適に暮らせるように、気持ちよくいられるようにという目的だったのではないでしょうか。


みんなの迷惑になる、とよく言いますし、わたしもよく言っていました。みんなとはだれをさすのでしょうか。

歩いているときの周りの人でしょうか。近所の人でしょうか。それらの人が同じような感覚で、同じように物事を感じるのでしょうか。

きっとみなが気持ちよく過ごせるように、という意味からきたのではないでしょうか。

 

みながよい状態で過ごせるように、という意味合いが迷惑をかけないように、マナーに反しないように、こうしなければならない、それはやってはいけない、のようにねばならない、になっているような気がします。

 

茶道の作法も形を守ることが大切なのではなくて、心をこめることからきているのではないでしょうか。

物事のよい悪いというのはだれにも決められないと思うのです。

 

迷惑をかけない、マナーを守るというのは絶対的なものではないです。環境や人が変われば迷惑やマナーの基準が変わります。

 

正義と言うときなにをもって正義と言うのでしょうか。

アメリカは正義のための戦いと言い、イスラムの国を攻撃し批判し、人権無視だと言ってきました。
イスラムは悪なのでしょうか。イスラム教の信者はたくさんおり、信仰で救われる人もいるはずです。宗教にはその土地の風習習慣がもりこまれているはずです。西洋世界とアラブの世界は同じ風習ではありません。

正義のために人を殺すのが正義なのでしょうか。悪人ならどんな仕打ちをしてもよいのでしょうか。

 

自分との価値観が違う相手を悪人にしてしまうのは悲しいです。

 

わたしはあまりにもストレスがたまると価値観の違う相手に対して寛容ではいられなくなるのですが、価値観が違うのね、と流すようにしたいです。

 

2015.10.14

お読みいただきありがとうございました。

不定期に更新いたします。


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